(2022年9月追加)
2022年6月に更新した西太平洋の地球表面軌道のシミュレーションによって、日本のフォッサマグナ(大地溝帯)ができた原因は基底軌道ではなく励起軌道であることがわかった。励起軌道が東海地方から北陸地方にかけて日本列島を見事に横断していることが示された。もともとこの地域では4本の基底軌道が交差しているので、紛らわしいことこの上ない。基底軌道の作用に励起軌道の作用が累加されてフォッサマグナができた可能性さえあるが、一応フォッサマグナは励起軌道が作ったとして論を進めたい。
遅まきながらフォッサマグナについて調べてみた。ウイキペディアによると、フォッサマグナは「日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目となる地帯。……端的に言えば、古い地層でできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に新しい地層が溜まっている地域」である。「本州中央部、中部地方から関東地方にかけての地域を縦断位置する」と記述されている。
ウイキペディア:フォッサマグナ前項では花崗岩について考えるために藤岡換太郎氏の著書「三つの石で地球がわかる (ブルーバックス)」を引用した。今回は同氏の「フォッサマグナ (ブルーバックス)」を引用したい。この本にはフォッサマグナの地質学的特徴が簡潔にまとめられている。ウイキペディアの記述に加えて強調されているのは、フォッサマグナが顕著な隆起をしたことだ。たとえば、フォッサマグナの南部について「厚さ5000m以上の深海の海成層が隆起して、現在は巨摩産地や御坂ー天守山地などの海抜2000mに達する山地を作っています。丹沢山地もほぼ同様の隆起をしています。日本でこれほどの隆起が起こった場所はほかにありません」と述べている。
藤岡氏によると、猿の頭、狸の体、蛇の尾、虎の脚を持つ伝説の怪物「鵺(ぬえ)」のように多面的な性質をフォッサマグナは持っている。現代の地質学者でも歯が立つかどうか危ぶまれるほどのものだそうだ。さもありなんと私は思う。フォッサマグナは地球表面軌道が励起し日本列島を横断したものだ。だが、ポテンシャル分布によって地球表面軌道の性質はさまざまに異なり、隆起を起こさないこともある。私の西太平洋シミュレーションの中央には何本もの軌道が密集しているが、隆起するどころか完全に海面下にある。
シミュレーションによると日本のフォッサマグナを形成する励起軌道は2本あり、東西に並行している。2本の桃色の軌道がほぼぴったり重なって日本列島を横断している。位置的には近いが、この2軌道のポテンシャルは当然異なる。フォッサマグナの性質が東部と西部とでかなり異なるのはそのせいと思われる。しかも、長い年月が過ぎると地球表面軌道のポテンシャル分布そのものが経時変化するかもしれない。フォッサマグナはつかみどころのない鵺のようなものと藤岡氏が考えるのも無理はない。
なお、当初私は励起軌道の存在を予想しておらず、基底軌道だけでフォッサマグナが説明できると考えていた。しかしこれは誤りで、フォッサマグナの性質と中央構造線の性質がはっきり異なるのは地質学者にとっては自明であるらしい。フォッサマグナの西端付近の逆断層帯は西南日本から続く構造とは不連続であると藤岡氏は言う。また、フォッサマグナの西側では地形でも地質でも中央構造線を追うことができる。東側でも群馬県の下仁田などで中央構造線を認められる。だが、フォッサマグナの中には中央構造線は認められないそうだ。
藤岡氏は同書でホットリージョンマイグレーション説という地質学上のアイディアを紹介している。これは日本海の形成を説明するためのモデルの一つで、「マントルの深部にはホットリージョン(熱い地域)という融ける寸前の(あるいは一部融けた)高温のプルームがあって、これがゆっくり移動(マイグレーション)しながら、縁辺海をつくった」という考えだ。東アジア各地の縁辺海が作られた年代はいずれも第三紀であるが、少しずつ年代が違うことからこの説は構想されたそうだ。この説のプルームには大地を引き裂く作用がある。私の説ではプルームとは親球を意味し、親球が東アジアの基底軌道および励起軌道を移動しながら縁辺海をつくったということになる。ただし、階層球列モデルの親球は、大地を引き裂くだけでなくポテンシャル分布によっては山を隆起させたりもする。フォッサマグナでは隆起作用が現れている。
生成原理から考えると、フォッサマグナの火山には階層球列の球体の特徴が残されていてもおかしくない。八ヶ岳連峰の北端に位置する標高2,531mの蓼科山はその代表格ではなかろうか。諏訪から仰ぐと優美な円錐型に見えることから、諏訪富士の別名も持つ。頂上部はブロック状の溶岩で覆われており、樹林が育たず360度の展望がある。
ウイキペディア:蓼科山この山域では針葉樹林帯が帯状に枯れる縞枯れ現象が発生する。亜高山帯の針葉樹であるシラビソ、オオシラビソの優占林において、木々が立ち枯れたり倒れたりすることにより、遠くから見ると縞状の模様が見られる。枯れた樹木の下ではすでに幼樹が育ってきているのだが、それと同時にまたその山林の上部で縞枯れがおこるため、縞模様が上昇していく。山の自浄作用とも木々の世代交代や天然更新とも考えられているが、結論は出ていない。
ウイキペディア:縞枯れ現象これは八ヶ岳連峰の北八ヶ岳にある縞枯山の画像だ。規則的な縞枯れ現象が起きている。縞枯れ現象は次のような原理で起きるのではなかろうか。地下に階層球列の球体の規則的な表面軌道があり、そこで磁気リコネクションが起きて地温が上昇する。マツ科の植物は深根性なので、直根が地下の高温域に達してしまい、水が吸い上げられなくなる可能性がある。縞模様が上昇していくのは、球体の表面軌道のポテンシャル分布が徐々に変化し、地下の高温域が移動するからではなかろうか。
PENSION RADISH−GARDEN:諏訪の自然七不思議画像を引用した「諏訪の自然七不思議」には七不思議なのになぜか項目が10個あるが、その大半は階層球列モデルの軌道や磁気リコネクションで説明できそうだ。「車山・ゼブラ山の構造土」「茶臼山東山麓の風穴」「諏訪湖の水平虹」などだが、それらは各自お読みいただくとして、有名なところでは「諏訪湖の間欠泉」と「諏訪湖の御神渡り」がある。諏訪湖の間欠泉はかつては日本一(東洋一)の高さと言われ、当初は5分間に2回噴出する勇壮なものであったようだ。諏訪湖の周辺には温泉が湧いているが、火山ではなく火成岩の熱が原因となっているらしい。磁気リコネクションが熱源となっている可能性がある。現在の諏訪の間欠泉は自噴ではないが、そもそも間欠泉には地下で間欠的に磁気リコネクションが発生することによって自噴するものがあるのではないか。
諏訪湖の御神渡りとは次のようなものだ。湖面が全面結氷したのち低温が続くと、氷の収縮によるひびわれが生じる。この部分が再結氷し、朝の昇温に伴って氷が膨張すると、割れ目の部分を押し上げて氷堤をつくる。つまり、厳しい冷え込みと、冷え込んだ氷を膨張させる大幅な温度上昇の両方が御神渡りの原因となる。磁気リコネクションがこの温度上昇の一因となっている可能性がある。
諏訪湖が冬に結氷するのはおかしなことではない。だが、結氷した湖面にできる釜穴という丸い穴については、まだ科学的に解明されていない。釜穴は氷上のミステリーサークルとも称され、直径40メートル以上の巨大な穴ができることもある。地下深くから湧き出るメタンガスによってつくられるという研究があり、実際にそうやってできる釜穴もあると思われる。
ネット上にはドローンで空撮した釜穴の動画がいろいろある。
この動画の3分10秒あたりを見ると、釜穴には次のような特徴があることがわかる。釜穴は幾何学的に整った円形もしくは同心円状になっていることが多い。しかし正確に同心円かというとそうでもなく、外周をよく見ると五角形や六角形などの多角形にも見えることがある。多数の釜穴が同時に現れることも珍しくない。
釜穴は、階層球列の球体の断面あるいは底面と考える方が正しいのではなかろうか。たとえば六角形の釜穴はこんな軌道かもしれない。球体は熱を発生させて氷上の雪を溶かすので、外形が六角形に見える。
また、釜穴の中心から放射状に一定の幅で氷上の雪が溶けていることも多い。道のように一定の幅で雪が溶ける、というのは原因がなければ起きにくいのではなかろうか。次の動画の45秒あたりでは、釜穴の左側で放射状に、釜穴の右側で同心円状に雪が溶けている。釜穴の周囲の雪が同心円状に溶けるか放射状に溶けるかは、表面軌道に存在する球列のポテンシャル分布によって決まるのだろう。
ウイキペディアによると、蓼科山には「ビジンサマ」という名のものが住んでいるという伝承があるそうだ。「姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ。」気象学の項で、空中の階層球列は雨を降らせることもあると私は述べた。通常は透明で目に見えない球体も、厚い雲に覆われると目に見えるようになる。球体は激しい降雨をもたらすが、雲から雨が落ちてくる様子が「紙細工のようなびらびらしたもの」に見えたのだろう。たわいのない言い伝えの中にも真実の一端が隠されている。
励起軌道であるフォッサマグナの後は、代表的な基底軌道である中央構造線についてやや詳しく説明してみたい。といっても基本的な性質はそれほど変わらないのだが。
中央構造線が階層球モデルの基底軌道であり、親球が西から東へ移動していると仮定すると、いろいろな地質学的な謎を説明できる。以下は堤之恭氏の著書「新版絵でわかる日本列島の誕生 (講談社)」を参考にした。地質学の常識に合わせて理論構築するために、地質学者がいかに悪戦苦闘しているかが伝わってくる本だ。この本に出てくるいくつかの謎を箇条書きし、階層球列モデルによる解釈を付記した。
○中央構造線は四国では明瞭だが九州では不明瞭である。
→階層球列モデルでは軌道のポテンシャル分布に従って中央構造線の性質が変化する。
○中央構造線は、九州中央部を東北東〜西南西に横断する「臼杵-八代構造線」から四国へ続いていると一般には信じられている。しかし、だとすると中央構造線は九州北東部の「大野川屈曲」でS字型に曲がっていることになる。なぜ曲がっているか地質学の常識では原因不明だ。
→祖球表面軌道を親球が軌道公転しているとすれば、地球表面軌道方向の親球速度成分が変化するから、親球が地表に作る軌跡がこのように変化してもおかしくない。
○中央構造線は横ずれ断層なのか衝上断層なのかはっきりしない。紀伊半島中央部から四国中央部にかけては明瞭な右横ずれ断層だが、四国西部では衝上断層になっている部分さえある。地質学の常識では横ずれ断層と衝上断層は完全に別種のものなので、その起源を別々に推定する必要がある。
→階層球列の考え方では、親球の向きや速度が異なれば断層の現れ方が変化する。
また、中央構造線の北側に沿って四国から紀伊半島にかけて狭長に分布する「和泉層群」という後期白亜紀の整然層がある。和泉層群の層序は、中央構造線の北側に斜めに紐を巻き付けたような形をしている。同様の層群は九州にもいくつかあり、時代とともに西から東へ中央構造線に沿って移動しつつ形成されたと考えられてきた。親球が西から移動しつつ層群を形成したことを示すと思われる。
そのほかにも、階層球列モデルは次のような矛盾を解決できる。中央構造線の北にある「高温型変成帯である領家帯の高温型変成岩」と中央構造線の南にある「高圧型変成帯である三波川帯の高圧型変成岩」との間の距離は、プレート沈み込み理論では100km以上離れていなければならない。だが、実際には領家帯と三波川帯は接しており、ふたつの変成岩帯はプレート沈み込み理論の予想より60kmも近くにある。
大鹿村中央構造線博物館:対の変成帯を接しさせた中央構造線しかし、これらの変成岩帯が親球の磁気リコネクションによる熱で生成すると仮定すると、ふたつの変性岩帯の間の距離が近くても別に問題ない。平面座標にらせん軌道を描いてみればわかるが、軌道がX軸と交わる点の座標の絶対値は原点の右と左とで違う。つまり、中央構造線からの距離が南北で等しくなる必要もない。
以前も述べたが、高圧型変成岩には解明されていない謎がある。高圧型変成岩が変成作用を受けるには高圧が必要だから、地下深くで変性すると考えられる。だが、相対的に重いはずの変成岩が、なぜ地表で発見されるのか。変成岩が地表まで上昇してくる原理がいまだにわかっていない。しかも、上昇する途中で高温型変成作用を受けないためには、変成岩は非常に高速で上昇せねばならない。
高圧型変成岩は、磁気リコネクションの生み出す高温高圧によって地表近くで変性することがあると私は考えたい。中央構造線の南にある三波川帯は最もよく調べられた高圧型変成帯のひとつだ。そこに磁気リコネクションを起こした階層球列の痕跡を探してみる。徳島県の吉野川中流の大歩危渓谷は三波川変成岩が典型的にみられる場所だ。
大歩危付近の三波川変成岩は、ドーム状の背斜構造という褶曲(しゅうきょく)構造を示している。
文化遺産オンライン:大歩危小歩危背斜は、構造地質学において、山状になっていて古い地層が中心部に来ているような褶曲である。……すべての方向に沈み込んで円形や楕円形上になっている構造をドームと呼ぶ。
ウイキペディア:背斜「大歩危には、地層がまるで下敷きを曲げたように大きく凸にたわんでいる様子を観ることができます。地層のたわみは大きすぎるので、3つのポイント(遊覧船乗り場、堂床、westwest)の3つのポイントに行くと観ることができます。」
ようこそ三好ジオパーク構想へ:大歩危小歩危の背斜構造サイトところが、文化遺産オンラインの記述によると、 「今回の指定対象地では,背斜構造の中心部に近い部分に原岩(げんがん)の年代(変成作用前の年代)が新しく変成の程度が弱い砂質(さしつ)片岩(へんがん)や礫質(れきしつ)片岩などが分布し,背斜構造の中心部から離れた部分には泥質(でいしつ)片岩や緑色(りょくしょく)片岩などの変成度の高い古い岩石が分布し,見かけ上新しい岩石と古い岩石の位置関係が逆転している」とのことだ。このドーム状の褶曲は、普通の褶曲ではないことがうかがえる。このドームは階層球列の球体が造ったのではなかろうか。
大歩危渓谷には、規模が小さく階層が高い球体が作った岩や、球体が移動した軌跡が見られる。大歩危の代表的な巨石獅子岩は、「4次元超球面の3次元断面」の軌道の下半分が侵食され残ったものではなかろうか。軌道上には侵食された球列のなごりがいくつもある。
大歩危祖谷温泉郷 峡谷の湯宿 大歩危峡まんなか:獅子岩「これらの石は、……お餅のようにのびてしまいました」というよりは、これは球体が移動した軌跡だろう。
ようこそ三好ジオパーク構想へ:三名の含レキ片岩サイトところで、大歩危周辺にはいろいろな妖怪伝説が残っている。想像するに、現代のように街灯がない昔は、夜の山間に磁気リコネクションの小さな光が見えたらものすごく目立っただろう。火の玉と思い込みたくもなるだろう。球列が光を放っていたら、妖怪の行列とか百鬼夜行と認識されただろう。有名な「子泣きじじい」は大歩危周辺で発祥した妖怪だが、夜道で赤ん坊のような産声をあげるとされている。これも磁気リコネクションに伴う電磁波音と考えれば説明がつく。
ウイキペディア:電磁波音余談だが、背斜構造の地層からは石油や天然ガスが掘削されることがある。磁気リコネクションによる高温高圧が化学変化を引き起こしてこれらを生成するのではあるまいか。